InputとOutputの相関(2)

一般に英語の習得をしようとして訓練をはじめた場合、どうしてもInputの比率が高くなります。その結果、InputとOutputの能力の相関が1:1でないということが多いということを前のページで言いました。でもそれはそれである程度しょうがないと思います。なぜならば:

  • 一つははじめの頃に言いましたように、Inputは将来のOutputのための大きな貯蓄になるからです。Inputの貯蓄無しにOutputが飛びぬけて上達することはまず無いと思います。
  • そして一般の学習者がInputと同等のOutputの訓練をつめるかというと、これは現実的にかなり厳しいでしょう。相手無しにしゃべるのにも限度があります(下手をすれば病院に連れて行かれます)。英会話学校で週に1-2回1、2時間話してもこれまた圧倒的に足りません。英会話学校で十分なOutput量を稼ごうと思うと、まず金額的に成り立ちません。
  • 例外はそういう環境に幸いにもいる人たちです。例えば外資系に勤めていてそうせざるを得ない、これは実に恵まれた環境です。そんな環境で給料までもらえるのですから言うことはありません。私の場合、今の部署で仕事中に日本語・英語のOutputの比率はSpeakingで平均50/50、Writingで5/95です。Speakingのほうはまあ普通ですが、英文で文書を作成しているというのは自分でも実感してためになっているのが分かります。
  • 逆にいえばそういう環境にいない人はOutput/Inputを1:1の比率でmaintainしていくことは非常に難しいということです。実際、TOEIC900点くらいの人同士で両者を比べるとOutputの能力差はとても顕著です。特にWritingはそうです。Writingを積極的に自分で訓練している人がどのくらいいるでしょうか。アルクのライティングマラソン などもありますが、ヒアリングマラソンと比べてやっている人は少ないと思います。
  • しかし、それはそれでいいと言いました。というのは、そういうInputの貯蓄をしている人は必ずそういう環境下に置かれるとかなり早く(2-3年で)Outputが上達するからです。要するに必要になればできるようになる、という素地ができているということです。ただできる範囲でシャドウイングや朗読、日記・手紙、あるいはライティングマラソン のような添削してくれる講座などでOutputを磨くようにする必要があるのは言うまでもありませんが。